■ジェシカは死ぬことにした?

小学校時代を終えて中学に入学したあたしはまだまだ調子に乗っている。なぜなら小学校よりも広い範囲の子供たちが集まって、そしてテスト結果には順位が計算されるようになるから。

中学1年の頃の思い出として残ってるのは、引っ込み思案の友達が吹奏楽部の先輩に挨拶できなかったこと。

「ねえ、一緒に『おはようございます』って言おう」

嘘でしょ?って思った。挨拶だよ。決闘申し込むわけでもないのに何がそんなに緊張するの? ちょっとよくわからなくてあたしはシャイな子はできないこと多くて大変ねーとか思ってた。この子と一緒に居るおかげでまた自尊心が高まっていく。

授業中に先生に当てられて何も言えなくなっちゃう子とか、なんなら泣き出しちゃう子をたまに見たけどわけがわからなかった。今思えばまだ小学生から上がりたてだもんな。どうしていいかわからなくなったら泣いちゃうのも仕方ないよな。

 

中1か中2かよく覚えてないけどあたしは当たり前のように学級委員長をやった。誰もやりたがらないし、小学生の時からの友達の推薦もあって仕方ないなという体で。そこで初めて人を使うことの楽しさを知った。

みんなあたしの言う事を聞けばいいんだよ、そうすれば全部スムーズに上手くいくし。実際うまくいったのでそれはもう気持ちが良かった。先生に反抗するギャルたちもあたしの言うことは聞く、最高。自分でも、人を扱う才能があるんだなと気づいてた。

 

もちろんあたしはえらいので勉強も疎かにしない。学校での授業と家での通信教育テキストで成績は常にキープしていた。ちなみに家ではとにかく母が厳しくて、テキストが終わってなければ頭を叩かれるのでびくびくしながらも大量のテキストを進めていった。小学生の頃もひらがなプリントでちょっとお手本と違うだけでめちゃめちゃ頭叩かれてた思い出。お母さんは教育ママだったけど自分そんなに頭良くなかったんだな~と気づいたのが中学生の頃だった。そこでまた自尊心がアップする。学校のテストで100点満点を取れば喜んで見せてた。あと78点とか悪い点数のテストは見せるタイミングをはかって怒りにくい状況で見せた。頭の良いガキは嫌いだよ……。

テストの最高得点はたぶん470ほにゃらかだった気がする。今なら言えるけど頭良いんなら500取れよ。そのほにゃらか点の時にあたしは栄えある学年2位とかいう称号を手に入れたのだ。微妙だよね。1位じゃないんかい。そう、1位じゃなかった。

中学時代はトップ争いしてる友達が10人前後居て、毎回その子たちと勝っただの負けただのしてた感じ。その中でもとりわけライバル視していた、やたらあたしと似て色んな分野で優秀なヤツを仮に、まあそうだな、ベロニカとしよう。よく覚えてないけどその頃『今回の1位誰だった!?』って話題で名前が挙がるのはあたしかベロニカだったんだ。頭良くて目立つヤツ。いや多分他にもいたんだろうけどとにかくベロニカ、あいつは強かった……。テストでも同じくらいだし学級委員もやるし人望も厚い。悔しい。別に決定的に負けたということは無かったんだけどそれまでアイアムナンバーワンの世界で生きて来たあたしは悔しかった。仲良かったけど。

小学校が同じだったので同じレベルの子として重宝していたのだ。一緒に居てもイライラしない、同じくらい優秀な子。それが中学に入って順位付けが始まったのをきっかけにライバル視に変わった。まあ仲良かったんだけど。

 

さて、あたしの人生の転機がこのあたりで訪れる。当時うちの中学にはまーめちゃめちゃに評判の悪い女教師が居た。保護者からクレームくるぐらいだったらしい。自分の機嫌が悪ければちょうどいい生徒に当たり散らし、ちょっとかわいく呼ぶ程度の悪口を聞けば言った生徒に対してお前の国語の成績は一切評価しないとかいう。国語関係なくね?廊下の拭き掃除で自分の推奨する「シンデレラ拭き」でない拭き方をしている子を見つけるとどれだけ丁寧で一生懸命だろうと必要以上に糾弾する。その子は3年間苛められ続けて不登校になりました。

そんなトンデモ教師が居たんだが、機嫌の悪いある日ついにあたしもやられてしまった。グループで話し合いをしてその意見をまとめて各班発表、という授業だった。当然発表する代表はあたしだった。起立して発言を始める。なーんかおかしい。機嫌のいい時はうんうんと発言に対して最低限頷くのに一切頷かない。ものすごくにらんでくる。何が気に食わなかったのか今でもわからないけど何かしら悪いことしてしまったらしく、時間にして5分くらいは立ちっぱなしだった。体感的には10分以上だったんだけど。

何を言っても無反応で座ってもいけない、とにかく納得させようと一生懸命に話し続けた。無反応。なんなの。なんなのこの空間。なんなのこの空気。

ヤツが機嫌悪い時はみんななるべく静かに気配を消して座っている。意地でも誰か助けてとは思わなかった。だってあたしは出来る奴だから。

でもさすがに14歳だったので限界が来てついに黙り込んだ。その反応に満足したのかようやくあたしを座らせて他の子を当て、そんで中学生らしい差しさわりのない回答を聞いて授業は進んでいった。なんなの。何なの?

授業終わりに友達に心配された。何だったのあれ?わからん。機嫌悪かったね。ね。そうしてその日が終わった。

 

きっかけがそれだったのか違うのかは判断のしようがないからわからないけど、中3になってから人前で話すときに極度に緊張するようになった。わかりやすく現れるのは赤面症の症状で、人前に立つ時だけでなく何故か給食中にも出るようになった。自分でもよくわからないけど、見られてるみたいでグループ机での食事が恥ずかしい。真っ赤になってる。誰も見ないで。隣の席の子が気付いて声をかけてくる。

「なんで顔赤いの?」

やめろやお前。言うなよみんな見るだろうが。

「箸ちょっとひっかけちゃったの、恥ずかしくてさ……」

「そんなことかよ~ww」

嘘に決まってるだろ、器用なあたしが箸なんか引っ掛けるものか。こんな感じで毎日の給食の時間がひたすら耐える地獄に変わった。

 

中3て受験生。あたしは当然地元の進学校に進む。小学生の頃から決まってた。380点あれば入れる理数科ではなく、360点でも入れる普通科の方を志望した。理由は単に理系に興味なかったから。本試験ではなく、早めにやる選抜試験であたしは合格した。ベロニカは落ちた。グラウンドにベロニカが居たので当然受かったものとして話し掛けようとして、泣いてるのに気付いて察して、隣を走り抜けて帰った。どうしてあの子が落ちたんだろう。色んな面に優秀すぎたのかな。不思議だ。あたしはなんで受かったんだろう。まあ当然か。受かるに決まってる。そう思った。

ベロニカは本試験で無事受かったらしい。よかった。

それから赤面症は治らないまま高校へと進むことになる。