■ベロニカは死ぬことにした。

 確か大学の相談室でそんなタイトルの本を見つけて読んだ。ベロニカは睡眠薬を飲んで眠るように死ぬつもりで…あんまり内容は覚えていない。睡眠薬じゃなかったかも。でもタイトルがすごく頭に残った。「死ぬことにした」って、潔い。本として成り立っていたんだから1ページ目の2行目でいきなり死んだりはしなかった。それまでに何があったのかを長々と物語っていって、ベロニカが死ぬことを決める何かが起きて、それで最後にはどうなったんだっけ。死んだんだっけ。全然覚えてない。でもこういう話って結局救われてハッピーエンドだと思う。死んだら後味悪いから。

 

 もし自分が死ぬことにしたら何が未練だろうと考えて、ずっと心に置いてきた「自伝を書きたい」という引き出しを引っ張り出してきた。文才も無いし語彙も無いし、小説も小学生のお遊びみたいなものしか書けないから作品としては生み出せない。ただ自分にあったことをつらつらと書きだして、運よく似たような価値観の人の心にちょっと刺さったら嬉しいなと思う。自伝って言うと仰々しいので、なんて言おうかな、振り返り文……反省文……? 

 文を書こう。ただ単に文を書いていこうと思う。大量に生きている人たちの中に一個体として生まれてここまで生き残れた証に、思いつくだけの言葉を適当に並べていこう。

 

 区切りの良い物語っぽく小学校の頃から始めよう。あたしはとにかく周りを見下しているサイテーな女の子だった。当時の一人称に合わせて「あたし」と書いたけれど、この一人称の違いは結構大きい。英語圏ではIで終わるけど日本人のIはひとつだけじゃない。一人称が「僕」の人と「俺」の人でかなり印象が変わるのと同じで、「わたし」と「あたし」も印象の違いがある。個人的にはちょっと生意気な感じのイメージが「あたし」。つまり小学生のころのあたしは生意気だったのだ。

 具体的な生意気エピソードは山ほどあるけれど、大雑把に言えば周りの子を見下していた。テストが返されるとき、あたしは当然満点。50点とか60点以下の子はもう格下と決めつけていたし、80点を取って喜んでる子を見れば心の中で馬鹿じゃないの?と思っていた。

 そんなにも他人を敵視していた理由はおそらく嫉妬の類だろう。おかあさんの評価でいうなら、あたしは100点取れて当たり前。95点だとがっかりされる。だから必死で勉強して宿題もちゃんと出して、休みの日は頭を叩かれながら泣きながら追加の問題集をやって。そんだけ頑張ってるあたしを尻目に、「80点取れたからご褒美買ってもらえる!」と喜ぶ子の憎いことったらない。こいつは泣きながら勉強なんてしてないだろうに、あたしくらい頑張ってもいないだろうにと思うと悔しくてたまらなかった。

 だからなのかはわからないけど、あたしは自分より頑張っていない子をとにかく見下した。あーあ、馬鹿がなんか言ってる。あーあ、あんな点数くらい取れて当然なのに。あーあ、あの子の能力なんてそんなものなのね、あたしってすごいんだなあ。こんな感じ。

 そうやって考え始めたら気づいてしまった。あたし、実際に他人より出来ることが多い。マラソン大会もリレーも速い。マラソン大会では小さいころから陸上をやってた幼馴染を追いかける形で頑張って確か7位とかが最高だった気がする。もちろん勉強もできるし、あと音楽も得意。リコーダーやらピアニカやらは相対音感があったおかげで楽譜なんか見なくても吹けちゃうしなんでそんなに何回も練習が必要なの?指くらい簡単に動くでしょって思って周りの子を見ていた。

それから要点をまとめるのも人を動かすのも他の子よりずっと上手い。そう気づいてしまってからは、日常の些細なことでも他人の馬鹿さが目に付くようになっていった。学級での話し合いの時の司会の下手さ、委員会で生徒が提案したらしい仕事の効率の悪さ、先生が決めた過保護すぎるルールの理不尽さ。なんで?どうしてみんな馬鹿なの?どうしてこうやって考えないの、思いつかないの?どうしてこんな簡単なことができないの?どうして? 

リーダーを何度も繰り返しやるのは面倒くさいから他の子に任せるけれどどうしても未熟さが目に付いてイライラしたあたしは助言役に回った。リーダーの子を手招きして、こうすると早いよとか、上手くいかないのはそのやり方のせいだよとか。周りの子はあたしの頭の良さとかを知っていたから、そのうち相談しに来てくれるようにもなった。これであたしも安泰、イライラしなくてすむ。

 あと、当然めちゃめちゃ優秀なあたしにも苦手なものはあった。というか今思えばちょっと優秀なだけで成績表が全部余すことなく◎というわけでもなかったし、かなり調子乗ってたけど普通の人間だったんだよな。図工では独創的な作品が作れないからお手本の真似しかできなかったし、体育ならわざわざ痛い思いをするのが目的のドッジボールなんか大嫌いだったし。それから朝起きるのが死ぬほど苦手で、割と毎日集団登校から遅れて学校に向かってた。

他の子からしたらそれこそ、どうしてそんな簡単なことができないの?バカじゃないの?って感じだろうと思う。図工に関しては姉が大得意だったのも相まって、家ではそれはもう馬鹿にされた。余計嫌いになった。そんな感じであたしの小学校時代は終わる。